ペット・ロス

ワンハート・ストーンを商品化するか?否か?いろいろ考えている頃 (2004年の五月頃)、『ペット・ロス』という言葉は大流行りで、ペットメモ リアル=ペット・ロスのようなサイトも多かった。それでも一応勉強も必要かと思い、関連の書籍を読んだり、講演会にも出かけたりしのだが途中で辞めた。
理由は、ペットロスを社会問題化することで、その専門家の講演や講習を受けないと、ペットロスを語る資格無しのような風潮がバカらしく思えたからである。ましてや獣医さんは精神科医では無いし、ペットショップの姉ちゃんがある日突然、何故カウンセラーになるのか?私には理解できなかった。


私なりの解釈で言うと、家族であれ、ペットであれ、愛するものを亡くした、辛さや悲しみを忘れることは出来ない。
もし妙薬というものがあるとすれば、それは『日にち薬』以外に無いと思っている。つまり時間である。
この薬には即効性は無く、ジワリ、ジワリと効いてくるので、その間どう瞬間的な絶望感や懈怠感を乗り越えていくかが問題であって、どんなに著名なカウンセラーや専門家の話を聞いたところで、家に帰れば現実、居るハズの大切な誰かが居なければ同じである。
また悲しみを乗り越えるのに、必要な時間も人によって様々で、それが人より長かったり、日常生活が遅れないほど落ち込んだりすると、周囲の人に理解されなかったりする。そこが本当のペット・ロスの問題点であって、本人の問題では無い。
12年前、生後z日に満たない子犬をもらった。
『ハナ』と名付けたその子は、家に来て四日目からは、毎日病院通い、11日間の通院の末、私の胸の中で死んだ。
『この子は死ぬ為に親から離されて我が家に来たのか?』そう思い自分を責めた。
子犬をくれた人も責めた。病院の先生も責めた。謝られても許すきなど無く、坊さんにはあるまじきことだが、コイツが代わりに死ねばいいと思った。

そんな時、見るに見かねた石材店のオヤジさんが、『似てないかもしれませんが石で造ってみました』と、子犬の彫刻を寺に持ってきた。
お世辞にも上手いとは言えないような代物であったが、泣けた。泣けて泣けて、それほどそのオヤジさんの気持ちが嬉しかった。
私はその彫刻に、『ハナ』と声をかけて時間を過ごした。
それから半年後、また子犬を飼うことにした。それが今の『ハチ』である。

子犬の彫刻を造ってくれたオヤジさんは、ペット・ロスという言葉は知らないだろうし、そんな勉強などしていない。
大切なことは、その人を思いやる気持ち以外のないのもでもない。

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