43の春
遂に43になってしまった・・・』というのが目覚めた時の感想か。
30を過ぎ、世間からかりにも坊さんとしての扱いをうけ、一宇の住職として
姿だけでも坊さんらしく等と思った頃から強く意識した自分の43才。
浄土宗の開祖・法然上人が『南無阿弥陀仏』の六字の名号を持って、一宗を
開かれたのは御歳43才の春。すなわち承安五年(1175)、今から832年前の
春のこと。そこに至までのご苦労は、私如きには語る資格すら無い。
物心ついた時には寺の子。成長して坊さんになっても、それが職業とは
思えず、表現が多少変だが、仕事もしないのに収入(布施)があっていい
のか?という葛藤は常にあった。
逆にそれはプロなんだから、何でも出来なければプロの坊さんでは無い
と思った時もある。しかし現実には向き、不向きや、その人の得意、不得意
の問題もあって、その先にあるのは坊さん同士の誹謗中傷しかない。例えば
『お経が下手』『説教の出来ない』等々。自分の得てを逆さにとって、他人
を責めるのは簡単なことである。
その人に合った坊さんとしての道は必ずある。それを見つけて行動に移し、
その結果、誰かが喜んでもらえれば充分である。
世の中が凄いスピードで変わっていく、でも政治や社会構造がどんなに変わ
っても変わらないものもある。今から2500年前にお釈迦様が説かれた仏教の
教えは変わらないし、800年前に説かれた浄土宗の教えも変わらない。間違っ
ても本山が六本木ヒルズに移転することはない。その普遍的なものを、頑固な
までに継承していくのが我々であるのだが、間違っていはいけないのは、その
方法論。すなわち布教活動のやり方ではないのか?
例えば、人類は長い間、餓えと戦ってきた。世界規模で見れば餓えは今も重要
な問題えある。でも今の日本で餓えている人はどのくらいいるのか?ただ単純に
『お念仏を唱えれば救われますよ』と言って通用するのか?と言うことである。
まあ言い訳はこのくらいにして・・・。
今の自分を見た時、想い描いた43才像には程遠い自分ではあるが、次の目標に
向かって軌道修正をして、また新たな自分の将来像に向かって頑張るしかない!
それが43才を迎えた2007年3月16日の想いである。