看取り ーハチの死からー

ハチが亡くなって一週間が過ぎました。
朝は相変わらず、散歩の習慣が抜けません。
さて
今年も暑い夏でした。
夏の訪れとともに、ある程度の覚悟はしていました。
同時に、親しい人への連絡をしました。
『いつお迎えが来ても不思議じゃないです・・・』と。
考えたのは、ハチがまだ元気なうちに、身内や子供の頃から
可愛がってくれた人に連絡するのは、飼い主として当たり前の
ことと考えたのです。
人間のように自分の意思で自由に出かけてはいけないのです。
連絡を受けた方々が、ハチのお見舞いに来て頂いて、
まだ元気だったハチも大層喜んだように思います。
しかし大半の人の目には、明らかに老いたハチが、
そう長くないことも充分に意識されたのか?
帰る際には、
『もしもの時は連絡を・・・』と。
夏が過ぎ、秋も晩秋を迎えた今月16日の朝、
自力では立つ事が出来なくなったハチ。
事態を見極めて改めて親しい方へ連絡。
一人一人にお別れを言おうと垂れた首を持ち上げようとするハチ。
最後のお別れをした翌々日、ハチは亡くなりました。
当然、直ぐに来て頂いた皆様へ連絡。
悲しいかな、亡くなる前に知人やお友達に、
死期を知らせる人は少ないと聞きます。
でも事情が許すなら、
いや多少の無理をしてでも知らせてあげて
可能な限り沢山の人で看取ってあげてください。
そのことで自分自身が人として、少し養われていくのです。
『供養』とは、心を供えることで、自分自身が養われていく事を言います。
『看取り』が出来る人が、最後の『送り=葬儀』が出来る人です。
生きてる時は家族、でも死んだら・・・?
お願いです、最後までしっかり看取ってあげてください。