ペットのお墓 ワンハート・ストーン


格差社会

2008/06/02

日本はもちろん中国、韓国でも格差社会が形成されつつあります。アメリカがそうで
あるように、グローバル化が進めば、進むほどその波は止まらないのでしょうか。

人は産まれ落ちる環境で、まず住む(育つ)環境が決まります。少なくとも20前後ま
では自己の努力より、環境が大きく人の一生を左右します。よく言われる地域格差が
経済格差を産み、そこから教育格差が産まれます。個々の産まれ持った資質や才能を
度外視すれば、幼少年期の環境で、その人の一生が大きく左右される社会構造です。
同じように【精神構造】もこの幼少年期に構成されていきます。つまり【ものの見方】です。

確かに物質的な部分に眼を向ければそうかもしれませんが、それだけで人は満足でき
るのでしょうか?例えば東京のド間中で、広大な不動産を所有する大会社の息子に産
まれても、自分がバカなら果たして満足できるでしょうか?まして住むステージが高
いだけに周りと自分とを比較した時に、バカは幸福感を得られるでしょうか?其処で
しか生きられない自分というものを見た時、果たして幸福なのか?疑問です。
(それすら気づかないバカなら正に幸福ですが)

時に人は他人と比べることで、自分の幸福感を計ってはいないでしょうか?もしそう
なら、それは自分の人生を歩むのではなく他人の人生を歩んでいるのと同じだと思う
のです。そこに人生の羅針盤を置くなら、それは終わりのない競争社会しか産まない
でしょう。もっと大切なのは『其処をどう生きたか』であって、だからこそ人生は楽
しくもあり、愉快でもあると思うのです。同じ坊さんから『お前は好きなことが出来
ていいね』と言われますが、それは私自身が物質的豊かさよりも精神的豊かさに人生
の羅針盤を置いているからであって【自分】以外のもの、例えば寺の格であるとか、
住む家とか、身につけるモノから車。もっと言えば友人に至まで、あまり執着がない
からであります。執着がないからこそ真に友たる人物との出会いも産まれてくるのだ
と信じて疑わないのです。

アジアの国々を回ると、其処に息づく人達の生活から、如何に困難な環境下にあろう
とも懸命に生きる人達の姿を垣間みることができます。そこから学び教えられること、それは『自分はまだまだ自分の人生を生きていない』ということです。

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