心の物差し
中々更新できず、申し訳ありませんでした。この夏はいろいろありました・・・。
8月はお盆月。関西では特にこの時期に各家々を廻る棚経、寺の本堂で行う施餓鬼法要、さらには地蔵盆と行事が重なる。私の1年のサイクルのなかでは一番気持ちが乗っていく時期なのだが、今年は少し事情が違う。
この8月に入って、これまで体験したことのない『自分』に出会った。
これまで己を信じ、走りに走ってきたが、この『己』に対する迷いが日常を支配する。『私は大丈夫なのか?』
自分を判断する時、その物差しにもいろいろある。例えば実績、人間関係、さらには家柄や容姿、財産に至まで、自分を奮い立たせる物差しを、人はそれぞれ持っていると思うが、そのどれをもってしても自分の心を覆った暗雲を取り除くことが出来ない時期。
しかし目に見える物差しとは別に、『心の物差し』を人は持っていて、それは『実は自分のことは自分が一番よく知っていて、特に認めたくない自分』という側面が表面に出た時、対処するすべがないほどに人はもろく弱い。
先日、心配して東京から来た成田君が「少し休んだらどう?」と声をかけてくれたが、その彼が最後に「田中さんは、ホントは答えも結果も判っていて、其処へ自分が行く事も実は判っていて、だから辛いんですよ」と。見透かされているようで、苦笑いで彼と別れた。
昨日出張先から倉橋君が電話で「現場に出れば、すぐに戻りますよ。世間は待ってはくれませんからね」と。
8月中、庭一杯に花を割かせたアサガオが、その花を落とし始めた。季節は秋の気配。ここに何時までも立ち止まることは出来ない。
さあ!行くか!