ペットのお墓 ワンハート・ストーン


彼岸

2007/09/16

32,155人。これは警視庁が発表した昨年の自殺者の数である。動機としては病気を苦にしたものが、全体の41%と最も多く、ついで経済・生活問題で、家族の問題、仕事の失敗や勤務の問題と続く。
リストラや過密な勤務環境、複雑化する人間関係など、取り巻く環境は人間が暮らしやすいものとはいえない。しかし、しかしである。だからといって、その解決策が=自殺というのはどうにもやりきれない・・・・そこで彼岸である。なぜ彼岸なのか? お彼岸と聞いて、多くの人は『先祖が帰ってくる日』とか『家族で墓参りに行く』とか、彼岸=先祖供養と思っている人が大半であろう。しかし本来の意味はそうではない。亡くなった先祖よりは、今を生きる我々が、死にたいような環境に陥らないための実践的方法を説いているのが、彼岸本来の意味である。

もともと仏教はインドで生まれ、中国を経て、日本に伝わった。西暦で言うと538年。今から1400年も遥かいにしえのことである。お彼岸も、インドの『パーラミッタ(理想に至る)』という言葉が中国で『波羅蜜(はらみつ)』という漢字に訳され、今度は日本で、その意味である『彼の岸に至る』で『至彼岸⇒お彼岸』となった。しかし面白いことに今日我々が勤めているような彼岸の風習はインドや中国には無く、日本独自の文化である。
その理由は諸説様々であるが、春分、秋分の日と関わっているところから、稲作文化と関係があると考えられている。春に収穫を祈り、秋に感謝する。『食べる』ということは、人間にとって最大のテーマであった。もっと言うなら人類の歴史は『飢え』との戦いでもあった。私自身も含めて、今の世代にはピンとこないが、食べられることへの不安が無くなったのは、つい何十年前のことであり、世界的視野で見れば殆どの国々で飢餓はある。

江戸時代には一揆があった。首謀者は直訴だけでも打ち首である。それを解って行動を起した。明治・大正には人身売買が平然と行われていた。少々のことでは自分の娘は売らない。飢えるとはそういうことである。それでも生きよう、生きようと、どんなに過酷な環境においても、生きることをあきらめず、飢えを凌いで、命をつないでくれて、今の自分がいる。

この現実を前にした時、いかなる理由があるにせよ、自ら命を絶つという行為は、先祖に対するは背任行為であって、許されることではない。そこで脈々と受け継がれてきた命の流れを絶つのである。

そこまで自らを追い込む前に、是非知ってもらいたいのが彼岸の効能である。どうせ死ぬなら焦る必要もない、この続きを読んでからでも。 

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