学歴
『良い大学を出ていれば、
それなりに良い企業に就職が出来て
それなりの生活が約束される』
まあ学歴信仰とはこんなところか?
あまり知られていないが、アメリカやヨーロッパ、それに隣の
韓国に比べて、日本は学歴による、生涯賃金格差は小さい。
従って『お金』だけで見れば対した差は無い。
またバブル全盛期のような○○大学卒=採用。
のような時代でも無い。
また雇用される側の意識も変化していて、
例えば東大卒ですら、新卒の10%はフリーターという統計もある。
京都の某私立大学の離職率は60%という統計もある。
さらに言えば、良い企業に就職して、ある程度の生活が約束
されれば、それで果たして『幸福』なのか?という疑問。
30を過ぎた頃、東京虎ノ門の○○研究所というところの
勉強会なるものへ1年間通った経験がある。
ここは大手企業の幹部候補生たる30代が集められていた。
メンバーは当然、早稲田、慶応はじめ一流大卒ばかり、
この時、学歴コンプレックスというものを初めて意識した。
そうなると発言すら億劫になり、今度は行くのが嫌になる。
ところが嫌々でも通う内に、ある事に気づく。
『皆、同じ。あまり変わらない』という事に。
少なくとも専攻分野の知識を除けば、対して変わらない。
誰でも躓くことはある。
取返しのつかない判断ミスもする。
気持ちで負けてしまう事もある。
お金も地位も学歴も無い自分を見た時、惨めで嫌で、
未来も将来も見えない・・・そんな気になる。
でもね?
大事な事を忘れないで。
学歴や産まれた家が人を『幸福』にするんじゃない。
自分自身が『幸福』と感じた時に、
人は『幸福』になるんだって事を。