坊さん
今日は同い年の坊さん仲間が訪ねてきました。
40半ばを過ぎた坊さんの会話です・・・・(笑)
12年前の3月、今の長福寺という寺の住職を拝命しました。
それまでは、浄土宗の本山であります知恩院に12年間奉職していました。
その間、一貫して本山が勧める教化事業を第一線で企画立案・実行していました。
つまり坊さんとして飯を食って、24年干支が二周りしました。
長福寺は檀家30軒の小さな寺で敷地も狭く、おまけに入り口を
民家に塞がれていて、車が入れず、建物は朽ち果てた状態でした。
それを、この12年の間に、改修工事をして、進入路を確保し、
人は住んで生活をし、宗教儀礼が出来るまでにはなりました。
この24年を振り返ると、本山時代も今も、葬式をしたり、法事をしたり
といったような法務(お参りです)より、基盤整備に追われた24年間
だったと思いますね。
だから事業の構築能力や実行力は確かなものがありますが、
『お布施』が大きな収入源である坊さんとしては不確な存在であります。
しかし、だらかといって不幸かと言えば、そうでもないのです。
寺の大小、収入の有無は僧侶の能力や魅力とは完全イコールではないのです。
そこに意味を見出すなら、坊さんをやる意味合いが無くなる、
何故なら収益事業が本来の寺院の姿ではないからです。
平安・鎌倉期、そして江戸期に、
現在の13宗56派と言われる教団が設立されれいくわけですが、
いろんな僧侶がいて、それぞれの役割を果たしていくのです、
例えば砂金を売り歩いて、教団維持に貢献した名もなき僧侶や
出生を隠すために表にでず、炊事ばかりをしていた僧侶。
つまり・・・今与えられた定めのなかで全力を出し切ることに
生きる意味や楽しみがあるんじゃないかな?
普通に寺に生まれ、育ったなら、お経は馬鹿でも唱える。
『山門の小僧、習わぬ経を読む』の例えだよ(笑)
もしそうじゃないなら、今付き合いのある大寺の和尚が
僕とは付き合わない。
坊さんとは何とも、面白い人達です(笑)