ペットのお墓 ワンハート・ストーン


坊さん

2012/02/24


今日は同い年の坊さん仲間が訪ねてきました。
40半ばを過ぎた坊さんの会話です・・・・(笑)


12年前の3月、今の長福寺という寺の住職を拝命しました。
それまでは、浄土宗の本山であります知恩院に12年間奉職していました。
その間、一貫して本山が勧める教化事業を第一線で企画立案・実行していました。
つまり坊さんとして飯を食って、24年干支が二周りしました。

長福寺は檀家30軒の小さな寺で敷地も狭く、おまけに入り口を
民家に塞がれていて、車が入れず、建物は朽ち果てた状態でした。
それを、この12年の間に、改修工事をして、進入路を確保し、
人は住んで生活をし、宗教儀礼が出来るまでにはなりました。

この24年を振り返ると、本山時代も今も、葬式をしたり、法事をしたり
といったような法務(お参りです)より、基盤整備に追われた24年間
だったと思いますね。

だから事業の構築能力や実行力は確かなものがありますが、
『お布施』が大きな収入源である坊さんとしては不確な存在であります。
しかし、だらかといって不幸かと言えば、そうでもないのです。

寺の大小、収入の有無は僧侶の能力や魅力とは完全イコールではないのです。
そこに意味を見出すなら、坊さんをやる意味合いが無くなる、
何故なら収益事業が本来の寺院の姿ではないからです。

平安・鎌倉期、そして江戸期に、
現在の13宗56派と言われる教団が設立されれいくわけですが、
いろんな僧侶がいて、それぞれの役割を果たしていくのです、
例えば砂金を売り歩いて、教団維持に貢献した名もなき僧侶や
出生を隠すために表にでず、炊事ばかりをしていた僧侶。
つまり・・・今与えられた定めのなかで全力を出し切ることに
生きる意味や楽しみがあるんじゃないかな?

普通に寺に生まれ、育ったなら、お経は馬鹿でも唱える。
『山門の小僧、習わぬ経を読む』の例えだよ(笑)
もしそうじゃないなら、今付き合いのある大寺の和尚が
僕とは付き合わない。

坊さんとは何とも、面白い人達です(笑)

コメント

お寺の修復や復興の事業は御住職だけでは出来ない事でしょう。
工事費用や檀家さんのいろいろな強力も必要と思います。
それも、お寺(住職さん)の立派な収益ですね。

2012/02/24 23:42 | papa

papaさん
うん~・・・それは営繕事業でしょう?(笑)

2012/02/25 19:59 | 龍

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