ガンでゴローが逝った話
幕張メッセで開催されたペット博2006in東京に出展した時の話。
今回はNHKが現場から生中継で、ワンハート・ストーンを紹介してくれたこともあり、沢山の人がブースに訪れ、中には亡きペットの写真持参で来る人も多かった。その日こられた初老の男性、野上さんもそんな一人。昨年ガンで亡くなったゴローをオーダーで作って欲しいと。
1991年の1月20日の午後6:30頃、野上家の駐車場で、子犬の鳴き声がした。見るとダンボールに入れられた捨て犬が置いてあった。ゴローとの出会い。
最初は飼う予定ではなかったのだが、見捨てることもできず、まだ眼の開かない子に粉ミルクを飲ませ、育てるうちに、ゴローは野上家の正式な家族になった。「家族のなかでゴローの写真が一番多い」と言う程、ゴローは大切に大切に育てられた。
近所には沿線駅の名前になるほど大きな公園があり、毎日の散歩は何よりの楽しみ、近所の人気もので、自慢はゴローのジャンプ力。残された写真には、高い塀を乗り越えるゴローの姿が幾つもある。
そんなゴローに異変が起こる。2002年、足に腫瘍が出来た。診断はガン。すぐに処置を施したが、2004年再発、さらに2005年2月には足を切断するという大手術を受けた。
家には足に包帯を巻いて、お花畑で花飾りをしてもらったゴローの額入り写真があった。それがゴロー最後の写真だそうである。
そして2005年7月6日、運命の日が来る。「知らないうちに逝くなよ」というご主人の言葉通り、家族が見守るなかゴローは静かに、静かに息を引き取った。
幕張の会場で、見せられた写真は、切断した足に包帯を巻いたゴローの写真。「ゴローが死んで、まさか自分がこんなに落ち込むとは思わなかった』
ゴローのオーダーを作るのに、計3回、会場に足を運ばれた。ポーズ、大きさ、石の種類、彫刻の仕上げ等を打合せする。話の途中で何度も、ゴローの思いで話になる。その度に涙、涙。もちろんスタッフももらい泣き。
動物が人間を優しくさせるのか?それともこれが人間本来の優しさなのか?野上さんを見ていると、そう思う。
三回目の打合せで、ようやくオーダーの内容が決まる。
幸いポーズ(写真)は、他のモデルがあったので、そのポーズで決まり。石種は毛の色に近い茶の石。大きさは一回り大きく、重量を25キロまでに押さえる。等々・・・細かい内容を確認して製作することに。
ワンハートストーンのドックモデルは、目が非常に難しい、黒い御影石をはめ込むのだが、目で表情の9割は決まる。元気な頃の姿、つまりまだ子供の表情が残る顔に仕上げる。次に足。ゴローは生前、足を切断しているから、前足の筋肉を強調した。もともとジャンプが得意なゴローだから、力強い前足。ぐっと張った胸。鼻回りの白と茶のコントラスト等々。

約一ヶ月半。ゴロ-のワンハートストーンは完成。
通常、宅配便でお送りするか、販売店からのお届けになるのだが、近くの販売店(石材店さん)に寄らなければならないこともあり、お届けすることにした。
出迎えてくれたのは、ご主人と奥様。
早速、胎内壷を空けて、ゴローの遺髪と、お二人が思いを込めて書き記された祈願文を納めた。遺骨は家の庭に既に埋められた。そして写真と花が飾ってあるテーブルの前にゴローを置いた。「お帰り」そんな声がした。新聞配達の方や、隣の奥さん、沢山の方がゴローを出迎えられた。思いで話が絶えない。

お坊さんになって二十年近くになるが、人間の葬式やお墓で、ここまで喜ばれ、感謝されたことはない。それが坊さんの当たり前なのかもしれないが、これがペットになるとメールやお手紙で感謝さえる。何とも不思議な気分になる。
ペット供養は、寺院本来の役割ではない。しかし、それがお寺や坊さんとの縁に繋がるなら、それも存在理由の一つであると考える。
「来年も来るんでしょう?」野上さんの問いに「はい。必ず」ワンハート・ストーンが結んだ不思議な縁を大切にしたいと思う。