ペットのお墓 ワンハート・ストーン


「心の軌道修正(禅定に学ぶ)」

2007/09/27

意識する、意識しないに関わらず、我々はその時々の感情で物事を判断していないか。?人の心とは片時も落ち着いてなどいない。人間には心の軌道修正が常に必要である。
今回は「禅定」の教えからの話。

禅宗と言われるが、これは福井県の永平寺を本山とする曹洞宗と、京都の妙心寺や嵯峨の大徳寺、南禅寺等を本山とする臨済宗を主に言う。?禅宗と言えば座禅で、最近は若い人にも人気がある。一度やってみようという好奇心からでもいい、体験することは素晴らしいと思う。それがお寺や仏教に触れる機会となるなら、最初の動機に信仰心や知識などは全く不要である。

座禅の目的も、禅定の境地を得るためである。禅定とは、心を一つに集中して雑念が無い状態。身も心も常に安定している状態を言う。
我々は眼で見て、耳で聞いて、鼻で嗅ぎ分け、舌で味覚を感じる。意識する、しないに関わらず、眼・耳・鼻・舌で得る情報で、その時の感情が決まる。例えば、美しい女性を見れば、男性はハッ!とするであろうし、自分の悪口を聞けば腹が立つ。美味しいものを食べれば、幸せだと感じるであろう。この感情=心とは自分のものでありながら、自分の思い通りにはなってくれないのである。

腹が立っている時は、関係ない人にまで荒い口調になってはいないだろうか?落ち込んでいる時は、必要以上に悲観的になってはいないだろうか?そう無意識のうちに得た情報で感情が決まり、そのまま行動に移している自分の姿を振り返ってみよう。普段我々の心というのは、片時も安定などしていない、禅定の境地とは程遠い日常を送っているのである。

この眼・耳・舌・鼻に身(身体)・意(意思)を合せて六根という。?八十八ケ所巡りに出てくる白装束のお遍路さんが、「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」と口々に唱えながら歩いておられる。情報を入手する六根が曇らないように、常に清らかであるようにと自らを鍛える行である。

無意識のうちに眼は曇っていないであろうか。?それを偏見と言う。
人の意見や言葉を素直に聞いているだろうか。?最初から疑ってはいないか。それを疑心と言う。?そんな状態では心の安定など得られるはずがない。?そして殆どの場合、その感情に任せて判断し行動したことは後で『後悔』という形になって帰ってくる。
美しい花を見た時は、美しいと感じよう。?親身になってくれる友人や先輩の声には耳を傾けよう。
もしそれが出来なくなっている時は、六根が正常に機能しなくなっている時。?心の軌道修正が必要である。

そんな時は京都に行くのもいい。?大きなお寺が沢山ある。どこでもいいから、広い本堂に座り、大きな仏さまを見ているだけでいい、聞こえてくる御経に耳を傾けよう、意味など解からなくて結構だ。?但し時間は惜しみなく使う、観光は次の機会でいいから、たっぷり座っていよう。自然と気持ちの変化が現れる・・・・・それが禅定である。

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