ペットのお墓 ワンハート・ストーン


「処世術を身につける(忍辱に学ぶ)」

2007/09/21

もし仏教が生きていくために必要でなかったら、とっくの昔に無くなっていた。?人が必要としたから、2500年という長き間、受け継がれてきたのである。?要はそれをどう日々の生活に生かすかが重要で、親戚の年忌に行くことが仏教ではない。
今回は忍辱である。?『忍辱』と書いて「にんにく」と読む。但しギョウザに使うのとは違う。忍耐とか堪忍と同意語であるがニュアンスは多少違ってくる。『辱』とは「かたじけない」もしくは「はずかしむ」と読み、意味としては「もったいない」とか「面目ない」等がある。つまり同じ世を忍ぶにしても、先の忍耐や堪忍に比べて、より謙虚な表現であり、この世を生きていくうえでの姿勢を教えている。
そもそもこの世とはどういう処なのか?毎日が楽しくて、嬉しくて、周りの人はいい人ばかりで、騙されるのは他人で、交通事故に遭うのも他人?この世とはそんな処であろうか?そんな処である訳が無い。この世を楽しい処と勘違いをするから、思い通りにいかない時に「苦」を感じるのである。
仏教はこの世を娑婆世界(しゃばせかい)と教えている。娑婆とは忍土、堪忍土と言い、人の世は忍の心、忍の気構えなくしては居られない処である。物質的豊かさの中で暮す現代人が、この世を良い処と勘違いするのはなお更である。

ある日クライアントに呼び出され、無理難題を押し付けられる。?会社に帰って、上司に報告すれば「何とかしろ!」と怒鳴られる。?家に帰れば、「たまには子供のことも見てよ!」と小言を言われ、いっそ逃げたくなる。しかしである。?よくよく考えると、クライアントに無理難題を言われている時間はせいぜい1時間。?上司の嫌味は長くて15分。?嫁の小言は5分である。?合わせて1時間20分の苦である。後の22時間40分は苦ではない。

所詮この世はそんなところと思えば、いい意味でのあきらめもつく。?まだ22時間40分もある。どうにもならないことは時には時間に任せるのもいいではないか。これからの季節山々は紅葉し見事な大パノラマを映し出す。?ドライブに出かけるのもいい。山間に温泉などあればなお更いい。ゆっくり湯に浸かり、目の前の大自然と見比べれば、取引先の何と小さいことか、上司に機嫌など、もうどうでもよい。嫁の小言さえ可愛く思えないか?マツタケに秋刀魚、柿に栗、秋の味覚は生きる力を自然に与えてくれる。どんなに頑張っても越せない山はある。?我慢や忍耐にも限度はある。「いや?面目ない!」とこの世を忍んで、頭を下げてもいいではないか。誰も命までは取らない。?ましてや誰も取らない命を、自ら絶つ必要などどこにもない。

人の世を上手く泳ぐことが処世術ではない。?人の世とはどういうものかを知り、それに合わせて決して無理をせず、最後まで生き抜くことが処世術というものではないか。

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