ペットのお墓 ワンハート・ストーン


「信仰を身につける(智慧に学ぶ)」

2007/09/28

価値観が多様化、複雑化した今日、人間関係は一番のストレスである。?人に振り回され、人に疲れ、自らの命を削ってはいないか?強い意志をもった人間になろう!その為には信仰心が必要不可欠である。彼岸の話、その最終回は『智慧』について。

彼岸とは本来「至彼岸」と言い「彼(か)の岸に至る」が本意で、その語源は古代インドの「パーラミッタ(理想に至る)」である。そこへ至るための実践方法が六つに分けて説かれてあり、これを六波羅蜜(ろくはらみつ)と言い、布施・持戒・忍辱・精進・禅定、そして最後が智慧である。日常的に言う「知恵」とは字が違う。当然意味も違ってくる。ここで言う智慧は、『悟り』であり、世の中のあらゆる真理を見定めることができる智慧である。
?この智慧を得るには先の布施・持戒・忍辱・精進・禅定を完全に実践出来た上で得ることが出来るのであって、人類史上それを得られたのは、お釈迦様とその教えを後世に伝えられた高僧、わが国では空海、最澄、法然、親鸞、日蓮、道元、栄西ら各宗派の御祖師様数名である。?
残念ながら日常の損得勘定と私利私欲にまみれた我々は、死ぬまでこの智慧を得ることは出来ない。しかし知ることは出来る。知ると知らないでは大違いだ。知れば学ぶことは出来る。学ぶことにより、少しでも近づくことは出来る。
?重要なのは、この少しでも理想に近づこうという人間的向上心である。人格の向上と言ってもいい。そのためにどうしても必要なのが『信仰』である。信仰とはどういうことか?例えば、恋人や親友を信じると言う。ところがこの相手が自分の希望や意思とは反対の行動をとった時、『裏切られた!』と言う。これは『信じる=期待する』であって、信仰とはそのような見返りを期待するような軽々しい「信じる」想いではない。
ある想いが強くなり、それがもっともっと強くなり、揺ぎ無い想いになる。
?例え何が起ころうと、変わることのない想い。?これを『念』と言う。この念ずる想いが信仰である。?信仰を身につけている人は揺るがない。?人の誘惑や誘いに耳を貸さない。?仏教を知り、学び、そこから生きる術(すべ)を習得しているからである。?そして『人間』なんたるかを知っているから、無理な期待はしないし、許す広い心を持ち合わせている。
?だから人が集まるのである!これが智慧である。
その信仰への入り口が『お寺』であり、導いてくれる先達が『住職』である。
現在、日本には約八万のお寺があると言われている。?残念ながら今や、お寺や僧侶に対する信頼は失墜していると私自身自覚している。?しかし素晴らしい和尚さんはまだまだ沢山おられる。
「とにかくお寺に来い!やっぱりお寺はいいぞ!」これが総本山知恩院十二年間で得た答えである。
そして今 人とお寺のネットワーク『ネットテンプル』を通じて、一人でも多くの人、とりわけ人生のド真ん中に居る世代に、仏教の素晴らしさ、お寺の懐の深さを知ってもらい、今を勝ち抜く、生き抜く杖にしてもらえれば、私自身、多少の生きる価値があるのではと考えるのである。  

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